入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

米づくりの技術をもたらした人々・弥生人について考えてみる

<稲作の始まりとつたわり>

ー 各地の稲作遺跡・続 -

東海地方の伊勢湾沿岸の西部は、弥生時代前期の段階で水田が開かれただろうと考えられています、三河以東では、弥生時代中期前葉から水田耕作があったようです、沖積平野の微高地である自然堤防上に集落遺跡があり、それに隣接して水田跡が出て、水路、木製農具、磨製石器などが、最初からセットとして完成された形で出てきました、また、この地域の水田遺跡の大半は静岡県内、特に静岡平野にあったようです、弥生中期後半の代表的なものは瀬名遺跡で、巴川流域にあり、小区画の水田が矢板で囲われています、巴川は美保の松原のある湾に注ぐ川であり、ここも海路からの進入に適していたようです

弥生後期の水田遺跡として有名な登呂遺跡は安部川の河口にあります、集落は安部川の一支流の自然堤防の微高地にあり、水田はその微高地の東南一帯に広がる後背湿地に造られていたようです、その畔は矢板で補強されていました、この遺跡はあるとき阿部川の氾濫によって土砂に埋没したので、当時の集落、住居、食器、農耕具、織機などがまとめて保存されました、農具は木製ですが、鉄製の工具で製作されたようです、当時はこの遺跡の近くにも潟があったようです、潟湖ないしはその周辺で使われたと思われる釣り針や網の錘なども出土しています