入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

米作りの技術をもたらした人々・弥生人について考えてみる

<稲作の始まりとつたわり>

ー 稲作渡来民と舟・続 -

前述の旧淀江町の角田遺跡も潟の奥にあった、国分直一は旧春江町の銅鐸の舟の形は龍船競漕(五月の節句の祭りに、大勢の人が櫂で漕ぐ舟で速さ競う行事、長崎、沖縄からミャンマーあたりまで広くみられる)と遠い歴史的関係があると考え、この舟の源流は華南にあったようだとし、その背後には「呉越水人社会」とでも言うべきものがあり、彼らが稲作を広めたとしている、この銅鐸の画は男性は漁労、女性は農耕に従事するような海辺に近い農村を描いているようだとしている

ただ、ここで一つ問題となるのは、弥生時代までの遺跡からでる鰹節型の丸木舟と、わずかながら発見された当時の描画にみられる前後のそりあがった舟の間に大きな隔たりがあり、後者は外海の交通には必要なものであるが、遺物としては発見されないことである、それは丸木舟ではなく複材式の舟であっただろうと想像されているだけである、丸木舟と準構造船の間にはいろいろな段階があり、丸木舟か構造船かという議論は単純すぎるというのである