入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

米づくりの技術をもたらした人々・弥生人について考えてみる

<稲作の始まりとつたわり>

ー 稲作渡来民と舟・続 -

古代舟の研究者、石井謙治は「これは後の埴輪の舟の原型とみられ、船底をえぐり舟構造とし、これに棚を設けた準構造船形式であった」と云う、古代史研究者の国分直一も「ヘサキ、トモ、の高くそりあがった部分が一本の樹幹からえぐり造られるとは考えがたいから銅鐸の舟は複材を使用したものだろう」と云っています

鳥取県淀江町(現米子市)の角田遺跡出土の大甕(おおかめ)の首のところにも、トモとヘサキのそりあがった舟が描かれ、大きな櫂を持った舵とりとこぎ手が描かれていた、また、奈良県の唐古(カラコ)遺跡からは弥生時代中期後半に属する唐古第四様式のつぼ型土器にも船首、船尾が高くそりあがった舟が線で描かれています

更に、2000年前後には、鳥取県気高群青谷町(現鳥取市)「青谷上寺地」遺跡から板に描かれた船団の図が発見されました、板材(残存長73センチ)に描かれた小型の舟3艘、大型の舟2艘が確認されています、小型舟には、16~29本の、大型舟には33~85本の縦線で櫂が描かれており、大小の複数の舟が描かれていることから船団を描いているとみられます

この遺跡は”弥生博物館”と呼ばれる程多くの遺物が発見されるところで、現在の勝部川と日置川が注ぐ大きな潟があり、砂丘によって外海から隔てられいたその潟へ突き出た半島に遺跡があり、その周辺で稲作も行われていたようです