入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

米づくりの技術をもたらした人々・弥生人について考えてみる

<稲作の始まりとつたわり>

再び「稲作渡来民」(池橋宏)に戻りますーコメの短粒と長粒ー

かってのイネの研究の影響を受けて、考古学者は短粒のイネは日本型(稉ーコウ)であり、長粒はインド型(秈-セン)であるとし、1つの遺跡から出土するコメについても、その比率を問題にしてきているが、池橋によれば、起源の違う2種類のイネが、同じ場所に”栽培”されるということはまったく奇妙なことだとされる、稲作の起源地である中国では、”野生イネ”は長粒であって、長粒から短粒の方へ混在しながら、”数千年”かけて変化していったのであるとする

”栽培イネ”のもとになった中国の”野生イネ”の中には、冬には氷が張るような沼に生育しているものもある、春になると芽生えるイネを株分けして浅い沼地に殖やしながら、コメを取って、玄米茶などに利用したことが、苗代と田植えに特徴づけられる”水田稲作”のもっとも原始的な姿であった、粒食の習慣があると、短粒の米は米つきのときにくだける米が少ないから、好まれたのであるとする

中国の長江流域で長粒のインド型が優先的になったのは、宗の時代(11世紀)に大増産運動があって、いわゆる占城米(チャンバまい)を福建省あたりから大量に導入したからである、それ以前には中国の南部でも短粒のコメが栽培されていた、占城はベトナム中部にあってインドの影響をうけたところであり、その余波で日本にも室町時代から長粒のコメが渡来したというのである