2008-08-11 蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る 考古・歴史 #埼玉県 米づくりの技術をもたらした人々・弥生人について考えてみる <稲作の始まりとつたわり> Bルートについては長距離の渡海という観点から、疑問視されていますが、高床の穀倉や鵜飼いという特殊な漁業、熟れ鮨作りの技法などは、朝鮮半島にはほとんど例がみられないことから、これらの文化的要素は、このBルートで直接、長江下流域から北部九州へ伝わったとも考えられます Cルートについては、弥生文化は本土側から南下したもので、その逆の流れはないという考古学的事実によって、その説は否定されてきたようです、しかし、弥生文化とは別種の農耕文化の流れが、南の島々を経て北上したことが、栽培植物の調査などで明らかになってきたようです、アワとサトイモやヤマノイモを栽培する畑作文化の流れとともに、インドネシアの在来稲に近いブル系(ジャパニカ型)の稲が、このルートを経て本土にまで伝来したことが確かめられています、更に南島を経て特有の遺伝子をもつ熱帯日本型稲が北上し、その遺伝子が本州にも拡散していることがわかったようです、Cルートについても、もう一度考え直されるようになってきているようです