入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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赤山陣屋遺跡・川口・まとめ

後続の堀之内式期になると状態は一変します、台地、低地に限らず遺構が見られ、西側台地の中央平野部には、深さ2メートルに達する大型の土坑(どこう)を含め、大小百数十基を超える土坑(どこう)が円環状に整然と配置されているのが見られます、これは、集落というより祭場的な性格のものと捕らえた方が良いようです、低地部では、住居地は全て西側低湿地を望む斜面上に分配され、集中することなく分散した位置に設けられています、住居が密集した機能集中型の「集落」から各住居が独立し、この住居が、その周囲に一定の空間を確保した「村落」へ変わりつつあったようです、密集した集落は姿を消し、分散型村落が出来たようです

西側低湿地南端部の水辺ぎわには、大型の祭祈場跡(平地式住居の形態ですが)が住居跡から遠く離れて見られます、また、低湿地の泥炭層と地すべり堆積層からは、木道、杭列などの構築物も検出されています、これらの遺構は等高線に直交するように水辺から沼の中へ伸び、あたかも、桟橋が岸辺から沼の中心に向け放射状に突出しているかのようです

一方、水辺に沿っても木道が伸び、東縁のものは、北の低湿地開口部に向かっています、このような木道は西側低湿地に限らず、主要な生活の場には縦横に張りめぐらされ、生活の場を空間的に広げ、それらを結ぶ通路として、これらの木道が作られたのでしょう、低湿地は単に水辺としての場だけでなく、移動の経路としても利用されたようです、地形を考えると、移動の時、低地を利用すれば、その移動距離は大きく短縮されます