入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

入間川の成立

弥生時代の始め、加須低地から中川低地を流れ東京湾へ注ぐ古期利根川、古期荒川は多量の土砂を運び、その河口付近に砂州を発達させました、そのため荒川低地のの流水は、その出口をふさがれると共に多量な堆積物による沈降もあって蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷付近の荒川低地は湖沼状となり、地域によっては湿原地帯となったようです

この湖沼の水深は浅く、その供給源であった古期入間川は湖沼の堆積が進むにつれてその流路を大宮台地の南端を東西にとり、台地を横切り中川低地へと流れたようです <旧入間川の成立> この流路をとった要因は基礎の地層からみて東西に走る地盤運動があったと思われます

一方、古期入間川の分流が戸田付近の湖沼に流入していました、そして、陸地化した戸田付近ではかってのデルタ期の乱流の跡を流れていたものと思われます、現在、蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷付近に残されている微低地は、これらの分流により、粘土質シルト層がけずられたため生まれた浅谷のあとであると考えられます、ただ、大宮台地の南端を東西に流路をとっていた旧入間川は水量も多かったのと、中央部よりやや高位にあったため、あふれ流れた時には河岸に細かい砂の堆積を行ったようで、小規模の自然堤防を形成したようです