2008-01-28 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #埼玉県 中期入間川の誕生 荒川低地の陸化が進んだ弥生末期(1700年前頃)東京湾の沈降運動も進み、旧入間川の分流が現在の荒川の流路をとり蛇行しながら、東京湾へ流れこんだようです<中期入間川の誕生>(中期荒川の誕生とも云えます)このため大宮台地の南端にあった旧入間川は流水量が減り、流路も埋まり、沼、湿地帯となっていったのでしょう(後に鴨川、鴻川、芝川となった大宮台地から流れこんでいた川の堆積でも埋まったかもしれません) 中期入間川(中期荒川ともいえる)は江戸時代初頭まで、現在の荒川の筋を流れていました、中川低地を流れていた利根川(中期利根川とも云える)の、江戸初期に行われた熊谷付近での付け替え工事で(霞ヶ浦、銚子方面への流路変更)、古期荒川が分離独立され、中期入間川に継がれ、新荒川となり現在にいたっているのでしょう(中期入間川は新荒川の支流になり入間川として残っています)