入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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太古の荒川低地の川の移り変わりを考えるー3

関東平野は東側は鹿島灘に面しているものの、北に八溝山地足尾山地、西に関東山地、南に多摩丘陵房総丘陵にとり囲まれた盆地状の形をしています、平野の地形は高度10メートルから30メートルの下総台地武蔵野台地部分と、これらを分断する形で河川が流れる低地部分に分けられます

台地を主に構成する地質は成田層と呼ばれる海成層です、今から約12万年前まで、関東平野一帯は古東京湾と呼ばれる内湾でした、このころの古東京湾は比較的浅い海だったため、周辺の山地、丘陵から湾内に運び込まれる土砂は次第に湾を埋め立て、ついには今の東京湾付近と霞ヶ浦付近に入り江を残し大部分陸地化しました、こうして関東平野が誕生しました、しかし、平野といっても、大部分はヨシやスゲの生い茂る沼沢地だったようです、こうした湿地の環境は海水面が大きく低下をはじめる約6万年前頃まで続いていたようです

関東平野の北部や西部では、山地地域から運び出された土砂が大きな扇状地を作ります、鬼怒川水系、利根川水系多摩川水系が著しく、それらに挟まれた低くまりが中川低地、荒川低地となったのでしょう

大宮台地北東部には盆状の凹地ができ、加須低地と呼ばれ、地盤運動による構造的な盆地で、数10万年もの昔から更新世を通して沈降していると考えられています、はっきりと地図上に現れないのは沈降量を上回る土砂の堆積があったからでしょう、加須低地における多量の土砂の堆積は、実は利根川流路の移り変わりの歴史の中で重要な意味をもっているのです

このような関東平野の平坦面形成の時代は約8万年前から7万年前頃のことで、このころの低まりは現在の荒川低地付近と中川低地付近となったのでしょう、そして、古期利根川の選んだ流路は中川筋の低地ではなく、荒川筋の低地だったようです