入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る .

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《戸田の遺跡》

◇鍛冶谷・新田口遺跡第2次発掘調査-17

(1次発掘調査報告併合)

近辺で方形周溝墓が多く出現したのは、さいたま市大宮公園内遺跡と戸田市鍛冶谷・新田口遺跡です、このことは初期水田耕作に適した泥湿地に弥生町期の文化・集落の形成を証左しています、そして、大規模に水田を管理・運営する農業共同体の族長の成長を当然のこととし、県内で最も弥生町期の方形周溝墓の分布を県南に集中させたゆえんでしょう

弥生時代後期中葉の弥生町期で埼玉県内で初期階級制社会の成立をみたのが、この方形周溝墓の存在です、戸田市鍛冶谷第1号方形周溝墓と同時期に出現したのが、さいたま市大宮公園内遺跡の方形周溝墓です、そして、その次ぎに出現したのが、さいたま市井沼方遺跡の方形周溝墓です、これら3遺跡の方形周溝墓はそれぞれ1基づつです、まだまだ、権力の世襲化初期段階であり、確立まで至っていなかったと考えられます

ところが、弥生時代後期後葉の南関東でいう前野町期になると、東京都八王子市宇津木向原遺跡や、埼玉県東松山市附川遺跡の例のように、複数の方形周溝墓が一定の方向性をもって作られています、このことは農業共同体内の祭祀権の世襲をあらわしており、方形周溝墓本来の形で作られています

しかし、鍛冶谷・新田口遺跡の方形周溝墓は、この前野町期のものは発見されていません、鍛冶谷第1号方形周溝墓に続くものが存在しないのです、このことは、鍛冶谷・新田口遺跡の壊滅をあらわしているのか、他の場所に墓域を設定したのかわかりません、今後、周辺の発掘調査が期待されるところです