2013-03-07 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 《戸田の遺跡》 ◇鍛冶谷・新田口遺跡第2次発掘調査-15 (1次発掘調査報告併合) 鍛冶谷・新田口遺跡の第1号方形周溝墓溝内で、伊勢湾から天竜川東岸に多くみられる地域性の強い特殊な土器が発見されたことは、明らかにその地方との交流のあったことを示しているものでしょう、先進地域(畿内)において、共同社会での水田耕作による富の増大から初期階級社会が成立し、祭祀権を掌握した族長が権力の象徴として、溝を四角にめぐらして墓域を設定した方形周溝墓をつくったのがその始まりでしょう この方形周溝墓という墓制が、櫛描文土器の分布にみられるような文化の拡大によって、畿内から除々に東日本の初期階級制を樹立した首長の間に広まっていったのでしょう、そして、ほぼ一律になったのは南関東における弥生町期のころです、したがって、弥生町期の方形周溝墓が存在する戸田市鍛冶谷・新田口遺跡などがあることは、弥生時代の後進地域である関東にも、このころ、既に階級制が成立していたことを如実に物語っています