2013-02-25 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 《戸田の遺跡》 ◇鍛冶谷・新田口遺跡第2次発掘調査-5 (1次発掘調査報告併合) 新田口は今後の公園造成計画とにらみ合わせ、特に破壊されるであろう公園北隅を中心に調査しました、第1次調査では第1号方形周溝墓と第2号方形周溝墓の一部を確認しましたが、第2次調査では第1号方形周溝墓の東溝が道路の下に入っており調査できませんでした、また、第2号方形周溝墓は第1号方形周溝墓の南約50cmの間をおいて造られていますが、北溝しか調査できませんでした この第1・2号方形周溝墓の西約7~8mの間隔をおいて発見された第3号~7号方形周溝墓は互いに切り合い、その形態も様々です、第1次調査時に発見された第1号住居址は第5号方形周溝墓の北溝の上につくられています このほか第2次調査時に新田口(公園)の周囲で側溝工事が行われており、公園の西コーナーと東コーナー附近で側溝に溝の断面が現れ、土器が発見されました、このことは遺跡の範囲を知るうえで重要なものであり、西コーナーに現れた溝を新田口A溝、東コーナーの溝を新田口B溝と呼びました、しかし、公園の南コーナー附近に預水槽を掘ったときには何ら遺構及び遺物の発見はありませんでした したがって、この鍛冶谷・新田口遺跡の広がりは、鍛冶谷・新田口の境の4m道路を中心として、鍛冶谷は南東方向へ、新田口は南西方向へ広がっていることが推測されます