入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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《戸田の遺跡》

◇鍛冶谷・新田口遺跡第2次発掘調査-1

(1次発掘調査報告併合)

鍛冶谷・新田口遺跡第2次発掘調査は昭和42年8月6日~11日に行われた第1次発掘調査に続いて、同地区(戸田市上戸田1058番地附近)で昭和43年7月26日~8月2日に行われました、第1次発掘調査報告は戸田市文化財調査報告Ⅰとして刊行され、本ブログでもすでに掲示済みですが、遺跡の性質上1次・2次調査を併せて掲示します、したがって、一部に前回の掲示と重なる部分もあります

戸田市は荒川低地に位置するため、かって、大雨時には市内に水が溢れだし、人々の生活は東西に走る狭い自然堤防上に限られていました、ところが、近年、都心に近い地理的条件と新幹線や埼京線の開通・新大宮バイパスの整備があり、盛んに水田(氾濫原)の埋め立てが行われ、新しい住宅が日増しに建築されました、また、荒川の堤防下には倉庫・大工場の進出も盛んになりました

広い面積を有する戸田市は荒川(中期入間川)の流路に平行して発達した自然堤防と湿地帯からなり、北から美女木・笹目・上戸田・下戸田の4地区に分けることができます、美女木・笹目は南北に伸びる幅の広い自然堤防上に位置し、鎌倉時代には鶴岡八幡宮の荘園として栄えたところですが、新大宮バイパスの建設によってその面影は現在一変してしまいました、一方上戸田・下戸田は東西に発達し、南側が大きくえぐられた幅の狭い自然堤防上にあり、戸田市の中心地域です

この度調査した鍛冶谷・新田口遺跡は上戸田地区にあります(第3図矢印)、附近はすでに土地区画整理事業も終わり整然としています、鍛冶谷(前回の掲示ではA地区)は現在宅地ですが、新田口(前回の掲示ではB地区)は都市計画で造られた公園(新田口公園)内です

現在の荒川は沖積地を隔てて、この遺跡の南方1200mを東流しています、遺跡は沖積地が湾状に入りこんだその先端に位置していますが、この湾状の沖積地は水はけの悪いところとなっています