入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

《戸田の遺跡》

◇鍛冶谷遺跡第1次発掘調査-7

今回の調査は偶然の土器発見から、低地帯の遺跡の性格を確認し、戸田市における今後の埋蔵文化財保護のあり方を探るために行ったものでした、したがって、時間的な制約もあり調査は充分ではありませんでした

しかし、埼玉県内でも県南の低地帯にこのような遺跡がり、予期しない事実が判明したことは、有意義なものでした、それは、標高5m弱の自然堤防上で、弥生時代後期中葉の方形周溝の発見と竪穴住居址の発見ということです

方形周溝はA・B両地区で発見されました、A地区では3基発見され、このうち第1号方形周溝は、他の2基よりも規模が大きく、長方形の土壙も発見され、「墳墓」としての性格が認められ、また、他の2基も出土遺物はないが1号と同様「方形周溝墓」と認められます

B地区の方形周溝は、全掘したものはありませんが、第1号方形周溝で遺物が明確に2層にわたって出土したことは、今後の課題として残ります、出土遺物は土器だけでしたが最下層(溝底)から出土した土器の中には、高坏形土器があります

これらの土器は、従来、南関東では住居址中からはあまり検出されなかったものの一群で、伊勢湾東岸から天竜川東岸に多くみられる地域性の強い特殊なものであり、東海地方から移入され「方形周溝墓」に献置されたものであろうと思われます、注目されます

一方、上層の土器は台付甕形土器が多く、方形周溝内から台付甕の出土は少しでした、東海系の影響の強い弥生的な性格を有する時期のものであり、弥生後期末に位置づけられるものと思われます

住居址では、貯蔵穴内に甑のセットが発見されています、その器形から、すくなくとも弥生時代には遡り得ないものです、したがって、この住居址は五領Ⅰ期に比定してよいようです

鍛冶谷遺跡は、まだ調査が始まったばかりで、昭和43年度には調査の完了していない遺構の完掘を目的として第2次調査が企画されています