入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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《戸田の遺跡》

◇南原遺跡第9次発掘調査-15

南原9-2号墳の円筒埴輪は器高40cm前後で、2条凸帯3段構成の企画で統一されていたようです、この規格の円筒埴輪は埼玉県内の古墳では最小部類に属し、主に帆立貝形古墳や円墳に採用されています、形態的には基底部が最も狭く、口縁部に向かって径を拡大する側面形を呈しています、各段の分割はほぼ均等になされ、透孔を中間段の対向した位置に穿ち、口縁部外面に赤彩を施す例も多いです

この円筒埴輪の製作工程は基底部から始まり、円筒本体を口縁部まで積み上げています、外面の下地調整として斜めハケもしくは縦ハケ的な斜めハケを施したのち、最後に基底部から口縁部まで連続する縦ハケを施し一次調整を終えています、そして凸帯が貼付され透孔を穿孔して完成させています

また、地方支配体制の頂点に君臨する広域首長墳(埼玉古墳群・稲荷山古墳)と、その支配体制を担ったと推定される複数の小円墳、およびその中間に位置づけうる生出塚2号墳に樹立された円筒埴輪などに、南原9-2号墳にみられる外部調整方法とほぼ同一の調整方法が観察されます

このように、ほぼ同時期の円筒埴輪に同じ手法が観察されることは、工人の癖の範囲を明らかに超えており、 同一工人が有力な指導者の存在する工房において表面調整が統一された可能性が考えられます、そして、この事は稲荷山古墳を頂点とした埴輪秩序がその支配体制の末端にまで貫徹されていたことを証明するのでしょう、稲荷山古墳に供給された埴輪が当時の規範となった可能性が高いと云えます