入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

鳩ヶ谷地域の変遷-9

鳩ヶ谷では1926年3月、1927年7月、1928年11月に耕地整理組合が結成され、現在の本町、坂下町約80町歩が1932年6月竣工、農地の転用が始まり、宅地として利用されるようになりました、また、1930年火工品製造会社、1934年三ッ和にブルドックソース食品(23)などの工場が進出しました

こうして1940年には人口が1万人を突破しました、1953年都市計画法が適用され、1958年桜町に東・西鳩ヶ谷の公団住宅(663戸)(24)(25)が建設されてから人口が急速に伸び、まず台地の方から都市化が始まり、低地へと降りていきました

鳩ヶ谷の低地部の景観が大きく変貌するのは、芝川の氾濫を防ぐための放水路の建設と関連事業の土地区画整理が進められた1961年以降です、この事業は延長6.4km、幅員80mの芝川のバイパスを東京都で荒川に合流させるもので、このうち上流部2.2kmが鳩ヶ谷を通過することになりました

このため埼玉県は、関係地域の区画整理事業を計画、流域の水害を受けやすくなるとする住民の反対派を押切り、1961年6月に事業に着手し、1965年9月竣功しました

こうして前田・辻・三ッ和地域の農地約168.3ヘクタールが工業・準工業・住宅地域などに変わりました、1968年6月の新都市計画法で鳩ヶ谷は、市内全域が市街化区域に指定され、区画整理事業が始まりました、同年から前田・辻地区12.6ヘクタール、1971年には、八幡木地区56.4ヘクタール、1977年には小渕地区43.7ヘクタールと次々に実施されました