入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

戸塚・大門地域の変遷-8

一方、こうしたバス利用に先立って岩槻から大門・川口への武州鉄道(気動車)が計画・施設されました、ところが同鉄道は途中までしか開通しなかったこと、従って利用者が少なかったこと、用地の買収が思うようにいかなかったこと等により経営が困難となり、閉鎖されてしまいました、しかし、このときの用地は後に東北自動車道の一部として利用され今日に至っています

それまでに、新設や手入れをされた道路は、浦和駅から越谷駅、大門から御成道(北原地先までの「県道に準ずる道路)、これに安行・西立野線(21)です、この安行・西立野線は、曲がりくねった線を真直ぐに、しかも拡幅しています、この道が県道になると砂利が敷かれ、1953年(昭和28年)ごろから岩槻から鳩ヶ谷間のバスも運行され、村の中央道の要になりました

ただし、この時代の道路の多くはまだ舗装されていませんでしたから、冬場霜柱が解けると悪路になり、自転車に泥がついて走れなくなって「土落し」を持って、泥を落して走りました、1971年(昭和46年)、県道安行・西立野線が区画整理によって曲がりが少なくなり、舗装され、根井掘は蓋をして歩道も出来ました、通称浦和・東京線の22メートル道路も自転車道、歩道と仕切られ、植樹され、いずれも完全舗装されました

1982年(昭和57年)東川口駅(22)の北口広場が完成すると、浦和・岩槻・鳩ヶ谷・大宮・戸塚環境センターなどの各方面行きのバスが発着し、タクシーの台数も多くなってきました