入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

戸塚・大門地域の変遷-6

戸塚④・北原⑰・差間⑪・西立野⑤・立山⑫各地区には古い時代から人が住み着いていました、戸塚・大門地域では集落跡、出土品などが縄文時代の全期にわたって発掘されています、したがって台地上では古い時代から人が住み着いて低地の開発を進めてきたようです、低地が水田として利用されはじめたのは平安期という説もあります

東京方面の拡大・発展は戸塚・大門地域への影響も大きく、戦中から戦後にかけて人口の増加などにより土地利用面でもだんだんと変わってきました、1929年(昭和4年)の戸塚の田畑面積は385.9ヘクタールでしたが、以後減少続け1990年(平成2年)の耕地面積は1929年の半分以下になってしまいました、さらに、1970~80年にかけては125.9ヘクタールに減っています

これは、主として水田の減反武蔵野線⑱の開通、駅の開設などの理由で、水田と畑が各々9.2、25.1ヘクタールに過ぎなくなったことによります、このように田畑面積が減った反面、樹園地が1950年(昭和25年)の11.7ヘクタールから1990年には約12倍の145.9ヘクタールに増えています 、また、最近ではJR武蔵野線東側の伝右川、綾瀬川から「けやき通り」の間のかつての水田地帯は、建物が密集してきています

そして、大型スーパーマーケットなどができ、広い公園なども設けられるようになっています、ただ、台地面の地域では区画整理が終了しても、宅地化はそれほど進行せず、シクラメンの栽培や梨の観光農園を経営する農家、苗木を育てる樹園地などが残っています