2012-05-04 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史 戸塚・大門地域の変遷-5 この根井掘も今ではコンクリートの蓋で覆われてしまっています、(昔は岩槻からこのあたりの綾瀬川沿いは清流にしか生息しないといわれる源氏蛍のいるところとして有名でした) また、水害も度々ありました、かっての農村の水防は農業・集落生活の一部でしたから地元の人々は、たとえば「遊水池」を設けるなどしていろいろの努力をしてきました 戸塚村では最近まで戸塚耕地と大門耕地との間に高さ1m、幅3m、長さ700mの横堤がありました、また、佐藤⑮、平沼⑯との境で、伝右川と綾瀬川との間にあって「篠」のたくさん生えていた「篠山」もそうでした しかし、1910年(明治43年)、1938年(昭和13年)の洪水の際は、この両堤防も濁流に流され戸塚の耕地が水に呑まれてしまったそうです、都市計画の事業として施行された区画整理による埋め立てが、この両堤防を1mも上回っているので今日ではかつての面影はなくなっています