入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

川口・南平柳地域の変遷ー5

この荒川の洪水にきまって連動するのが芝川の洪水でした、たとえ荒川が洪水を起こすまでいかなくても、満水ともなると芝川放流樋門を打ち破り逆流しました、そして芝川上流からの流水と合流して瞬く間に堤防を越えて濁流となって両地域を襲いました

荒川だけの洪水であれば川口・南平柳のうち元郷・領家などの沿岸の被害で止めらますが、この芝川洪水が連動することことから被害を大きくしました、もともとこの川は低地の排水を機能させるために開削されましたが、出水時には十分に機能せず、近代以降も一部舟運に利用されたものの、下流住民にとっては持て余し気味の川となりつつありました

このようにたび重なる水害に苦しむ沿岸住民からは、早くから河川改修を望む声があがっていましたが、なかなか進みませんでした、しかし、先に述べた明治期最大といわれた水害を契機に、荒川・芝川の改修に取り組むこととなりました

工事は1911年(明治44年)から11ヵ年の継続事業として計画されました、1-2図に見られるように荒川河道の改修と合わせて岩淵町地先から放水路を開削するというものであり、出水時にはこの放水路から速やかに放流する計画でした

工事は、放水路用地の買収からはじめられましたので、実際着手したのは1913年(大正2年)でした、工事内容をみると、築堤約200万坪、浚渫約300万坪とまれに見る大工事であり、また難工事でもあったようです、したがって当初の計画では1920年(大正9年)度をもって完了する予定でしたが、3ヵ年延長して1923年(大正12年)8月、千住と西新井間の堤防を爆破して工事が終了しました