入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

”夢まぼろしのような蕨駅前のダンスホール・昭和10年”-12

蕨市立歴史民俗資料館 紀要 第7号より

ダンサーの収入は、基本給なしの出来高払いでしたが、『読売新聞』昭和11年4月21日付の記事「郷愁 ホールの星」によれば、この当時のダンサーの収入は、「ひところは、月に4百円以上も稼ぐ子がいたが、現在ではナムバー・ワンの最高で3百円という処、少ない子は3、40円、平均80円ぐらいであろう(警視庁調)」とのことである

但し、一見華やかに見えるが、ハイヒールを履いて2時間以上を踊ることなど、かなりの肉体労働であったと推測されます、さらに靴、衣装(ドレス・ストッキングなど)、化粧品などの出費も多く、収入の少ないダンサーたちは赤字となりがちで、前借りを申し込む者が多くみられたようです

このアパートに住むダンサーたちの逸話とっして、出勤風景は前述しましたが、それに関連して出勤前に風呂屋に行く様子が伝えられています、ダンサーたちが住んでいたアパートには風呂がなかったらしく、街の風呂屋を利用しており、何人かで連れそって出かけていました

その様子を見聞きした当時小学生であった人によると、ダンサーたちそれぞれで石鹸箱と手ぬぐいを持ちながら田んぼ道を並んで歩き、淡い香水の匂いにつられてその後をついていった、その際ダンサーがご機嫌がいいと石鹸箱などを持たせてくれることもあったと言います、道の途中にある水田では農作業をしている女性もおり、立ち上がって風呂屋に行くダンサーたちの様子を見ていたそうです(註31)