入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

”夢まぼろしのような蕨駅前のダンスホール・昭和10年”-3

蕨市立歴史民俗資料館 紀要 第7号より

昭和5年(1930年)以降になると当局側の取締まりがより一層厳しくなり、東京では新装のダンスホールの営業許可が得られずらくなり、まだ舞踏場取締規則のない埼玉県・千葉県・神奈川県などに、次々とダンスホールが新設されました(註9)

埼玉県では昭和7年5月28日、浦和町前地(さいたま市)に、「フレンドダンスホール」が開場しました(註10)、翌年早々に起きた争議で同ホールの支配人を退いた鈴木氏は、3月11日に浦和町岸町(さいたま市)に「浦和ダンスパレス」を開場しています(註11)

また昭和9年4月27日、川口駅西口の国立燃料研究所の前に「ボールルーム川口会館」が開場しています(註12)、ダンスフロアーは136坪、客席は150坪、ダンサーの定員は120名など、東洋一の規模を誇り、タンゴとジャズの2バンド制をとっていました(註13)

浦和で営業していた「フレンドダンスホール」は、「ボールルーム川口会館」が開場した2ヵ月後の6月28日付『東京日々新聞』の広告を最後にその活動が見えなくなっており、「浦和ダンスパレス」との営業競争などの悪影響をきらい(註14)、浦和から他の所への移転を考えていたものと推測されます(註15)

なお県内では以上のほかに、昭和7年9月には熊谷町文化町に「熊谷サロンダンスホール」(註16)が、年時ははっきりしないが同時に川越町にもダンスホールが開場しましたが(註17)、どちらも詳細については不明です