入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー142

戦国時代の蕨市周辺は、岩付太田氏の勢力下にあり、その動向は地域の人々に大きな影響を与えました、太田氏は道灌によって有名ですが、その系譜や由緒については不明な点が多いようです

尊卑分脈』などによれば、太田氏は清和源氏の出身で源頼政の子孫であり、頼政から6代目にあたる資国(すけくに)が摂津守となり、丹波国太田郷に移り住み「太田」と名乗ったのが始まりと言われています、資国は上杉重房に仕え、建長4年(1252年)後嵯峨天皇の皇子宗尊親王が将軍となり鎌倉へ下向した時、親王に従った重房と共に資国も関東に下ったと伝えられています

太田氏は、資国・資治・資兼・資房・資清と代々相模国に住んでいたと言われていますが、詳細は不明です、一説には、資国の子孫が武蔵国太田荘の荘官となって姓を太田と称したとも言われます

また、新座市にある平林寺は、寛文年間(1661~73年)以前は岩付(岩槻市)にあり、永和元年(1375年)に創建されたとされますが、この平林寺の大旦越に「太田備中守」という名が見えることから永和年間以前にすでに太田氏が岩付に勢力を持っていたことを伝えているものとも云われています