入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー136

応永2年(1395年)7月の「足利義満御判御教書」およびそれによる翌3年7月の「斯波義将施行状」によると、大窪郷領家職は関東管領上杉憲方の遺領となっています、従って大窪郷は安保氏の手を離れ、山内上杉氏の所有となっていました

その時期は明らかでありませんが、山内上杉が武蔵において勢力を確固たるものにしたのは、応永元年(1368年)6月の武蔵平一揆の討伐以降とされ、しかもその時の中心人物は憲方の父憲顕でした、安保氏の動向が明確でないので断定はできませんが、乱後平一揆側の処分が行われ、所領所職の没収と、その恩賞給与が行われていますので、この時に憲顕が、河越近在の大窪郷領家職ほかを与えられた可能性が高いようです

このように大窪郷は14世紀後半に度々の領主の変転があり、同郷農民は大きな影響をうけたと思われます、同郷には、南北朝期ごろ領家と地頭による下地中分が行われており、領家職についてはすでに述べた通りです

地頭方については、応永2年(1369年)7月の「大窪郷地頭方三分一方田畠注文」に見られます、この文書は上野新田氏の支族岩松氏に関する文書ですから、大窪郷地頭方の三分の一の田畠は、応永2年前後は岩松氏の所領であったと思われます