入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー130

蕨城の北西には三学院や本法院・宝蔵寺、東南には渋川氏の菩提寺である宝樹院があり、近くには家臣も居住していて、蕨城の砦の役割を果たしていたようです、また、蕨城の東南には「要害」、「防止」等という城砦ゆかりの字名を残しています、しかし、蕨城址について確定的な資料は乏しく今後の調査研究が待たれるところです

足利氏一門の名家として誇り高かった渋川氏の家臣について、その家臣団・人数などを明確に知ることは困難です、義鏡の時代には有力被官であった板倉頼資(よりすけ)の活躍を見るのみであり、その後家臣名の登場するのは永禄10年(1567年)8月の上総三舟山合戦における渋川氏討死以降の史料と伝承によるだけです

義鏡以降の渋川氏は、足利将軍家の衰退とともにその勢力を失い、わずかにその伝統的権威にすがるのみで、実態は一国人領主クラスに転落していました、加えて蕨の地は岩付太田氏の影響下にあり、とりわけ永禄7年8月の太田氏の内紛以降は、渋川氏は後北条氏と気脈を通ずる氏資派に属し、後北条氏に従っていました

永禄10年8月の後北條氏と房州里見・正木氏らの対立抗争中には、太田氏資らと共に後北条氏の部将として出陣し、武運つたなく討死しました