入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー128

蕨御殿町説ですが、その大要は『新編武蔵風土記稿』に次ぎのように記されています、”城跡は蕨宿の東にあり、字名を要害、又は蕨の御所、あるいは城跡などと称した、二町四方程の平地に堀切や土居跡などを残し、中央には御主殿と呼ばれる小祠がる、その由来・祭神は不詳、伝承に昔、渋川左衛門佐義行が当地に住し、蕨左衛門とも呼ばれ、子孫が代々住したという”

この地は、北武蔵東南部の沖積低地に荒川(中期入間川)などの諸河川の乱流によって形成された自然堤防、すなわち海抜4~6m程の微高地が帯状にわたって戸田付近より浦和の沖積台地にかけて連なっていて、蕨城跡はその微高地の中央に位置し、東西は沼沢や深田に囲まれた要害をなしていたようです

ここはまた、近世初頭蕨御殿の置かれた地とされ、時代は降るが上尾市平塚の蜜厳院の宝暦12年(1762年)の「薬師如来縁起」や、文化7年(1810年)の蕨宿医師岡田静安の「蕨御殿」と題する漢詩にも蕨御殿が蕨城跡であったと伝えています