入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー123

こうした史実や室町幕府の重鎮としての渋川氏の動向から、武蔵守渋川義行の武蔵下向と蕨築城の伝承が生まれたのでしょうが、これについてはより一層の吟味探求の必要があると思われます、後に現地調査報告を含め、項を改めて検討することにします

義行は渋川直頼の子で、叔母に2代将軍足利義詮正室渋川幸子、母は高師直女(むすめ)で、右兵衛佐(うひょうえのすけ)に任じられるなど、足利一門きってのエリートでした

貞治4年(1365年)鎮西大将(鎮西管領)となり、九州下向を命じられています、これは前任者斯波氏常が、懐良(かねよし)親王後醍醐天皇皇子)を中心とした南朝勢力に敗退した厳しい九州情勢に対し、幕府が足利勢力の強化を狙って行った人事であろうと思われます

しかし、当時義行は若干18歳の若武者であり、その実効について期待薄であったにもかかわらず敢えて起用されたのは、時の管領斯波義将の父高経や斯波氏に近い渋川幸子と、佐々木道誉ら反斯波勢力との妥協の産物でした、従って義行の九州下向は、初めから波乱含みでした