入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー121

関東公方の政務執行体制は関東公方関東管領ー奉行人ー各国守護のラインでした、ところが堀越公方の場合は、公方ー渋川義鏡ー板倉頼資あるいは奉行人か各国守護で、関東管領は関与していませんでした、さらに、将軍義政の御内書も政知と義鏡の二人にそれぞれ出されるという変則なものでした

これは渋川氏が足利一門でも家格の高い氏族であり、九州探題を相承してきた家柄であったためで、その発給文書をみると公的な奉書や直状形式のものは認めらず、私的な書状形式で出されていることが注目されます、これは従前行われてきた公方ー管領体制による正式な命令伝達ではなくて、あくまでも堀越公方を中心とする補助的・臨時的な体制下のことと思慮され、被官である板倉頼資の場合も同様だったのでしょう

従って義鏡と政知は一体的な存在で、「岩松家純書状写」に「裏を封じ」(文書に証明の裏書きをすること)とあるのは、義鏡が政知に近侍していて、実質的には義鏡が政治活動を行っていたことを示しているのでしょう