入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー119

長禄元年12月15日、政知と名乗った香厳院主は、同月19日に左馬頭に任官しました、次いで同月24日、渋川義鏡らと共に「新鎌倉殿」として京都を発ち、近江の三井寺まで進みます、改名から出京までいかにもあわただしいものがありますが、この時は何らかの事情で鎌倉へは下向せず、越年後まもなく京に帰り、将軍義政と共に上野の岩松持国らに対し足利成氏誅伐のための参陣を督促しています

政知・義鏡の再度の出発の動きは、翌2年4月ごろから始まっています、陰陽頭加茂在盛の日記「大膳大夫在盛記」によると、長禄2年4月から5月にかけて、義鏡が政知の門出の吉日・方角および征旗拝受の嘉日について在盛に勘申(かんじん)したのに対し、在盛は征旗受領の日を5月27日、又は6月8日と答えています

従って政知と義鏡は征旗拝受の5月末か6月上旬まで関東に下向せず、京都周辺に止まっていたと思われます、関東下向はその後のことでしょうが関連史料の考察から7月下旬ごろと推察されます、関東へ下向した政知らは直接鎌倉へは入ることはかなわず、まず山内上杉氏と関係の深い伊豆奈古谷(静岡県韮山)の国清寺に入り、のちに堀越に移って政治活動を行い、堀越公方と称されました