入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー115

しかし、上杉氏に対する不満や反発は強くありました、下総の結城城(茨城県結城市)に拠った結城氏朝は、日光山(栃木県日光市)に逃れていた持氏の遺児安王丸・春王丸を迎え入れ、さらには信濃に逃れていた末子永寿王も合流し、関東公方家再興を掲げ挙兵しました、これに応じた武士は下野・上野・常陸信濃駿河の武士らで、約2万と云われてます

関東府では上杉清方らが直ちに出陣しましたが、幕府は伊豆にいた上杉憲実を鎌倉に復帰させ、上杉持房(禅秀の子)を派遣し結城城を包囲させました、関東府連合軍には平一揆・武蔵7党などが加わり、およそ10万と云われました

上杉禅秀の乱でも見られたように宇都宮氏・小山氏・佐竹氏・岩松氏・今川氏らのように一族が分裂して両軍に加わっているのが注目されますが、およそ嫡流は関東府連合軍へ、庶流は結城勢に加わったようです

結城軍の篭城は1年余に及びましたが、嘉吉(かきつ)元年(1441年)4月、結城城は落城し、持氏の遺児も幕府軍の捕虜となりました、持氏の遺児のうち春王丸・安王丸は、京都に護送される途中、将軍義教の命で殺害されました