入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー114

将軍義教は、富士山遊覧を口実に持氏を威圧するなどその動向に対して警戒を強めていましたが、賢王丸の元服にあたり持氏と対立し上野国に逃れていた上杉憲実の支援要請を機会に、持氏の討伐を決定しました、そして、駿河国守護の今川範忠、信濃国守護の小笠原政康、甲斐国の守護武田信重らに動員命令を発し、鎌倉に差し向けました

持氏の専制的な支配に対する東国武士の不満と反発も根強く、彼らを含む幕府追討軍の攻撃をうけた持氏は同年11月に敗北を認め、剃髪して幕府に恭順の意を示しました、しかし、義教はこれを許さず、翌年2月上杉憲実らに命じて持氏のいる鎌倉の永安寺を包囲し攻撃させたため、持氏は寺に火を放って自害し、関東公方はここにいったん滅び去ることとなったのです(永享の乱

永享の乱以後の関東府の実権は、関東管領上杉憲実に掌握されました、憲実は越後から弟の清方を呼び寄せて政務をとらせ、自分は伊豆の国清寺に退きました