2011-06-28 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー106 蕨郷がいつ渋川氏の所領となったかは不明ですが、足利氏が建武政権成立以来武蔵国を、なかでも足立郡を重要視してきたことは想像できます 事実、足利一族や幕府の近習(主君のそばに仕える家来)などと関係のあった足立郡内の地名などを挙げると、差扇郷(さしおぎーさいたま市西区)-上野頼兼(足利一族)、大窪郷(さいたま市桜区)-安保直実(高師直の被官)・寺田師春(近習)、桶皮郷菅谷村(上尾市)-丸氏(近習)、花俣郷(はなまたー東京都足立区)-秋山氏(近習)などがあり、さらに大宮氷川神社・浦和調神社ー足利尊氏、高金塚(こうきんずかー与野市)-足利尊氏、海禅寺(戸田市)-桃井氏(足利一族)、宝樹院(蕨市)-渋川氏(足利一族)などがあります いずれも足利氏の政策の反映であり、足利氏は足立郡内の所領所職を足利氏の一族や近習らに預けることにより、確実で安全な統治をねらったものと思われます