入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー97

新政権は、鎌倉には幼少の成良(しげよし)親王後醍醐天皇皇子)を派遣するとともに、尊氏の弟直義(ただよし)にこれを補佐させ、その警護のため「関東廂番(ひさしばん)」を置きました、この構成員は、渋川・仁木・河越・高ら足利方の人物が大部分を占めていました

また、結番表(けちばんひょう)筆頭の渋川義季が、建武元年11月6日付けで所領訴訟に関する奏書を出しており、さらに長井市・二階堂氏・雅楽(うた)氏などは、室町幕府において所領裁判を担当した「引付方(ひきつけがた)」の奉行人となっていることから、この関東廂番は軍事面のみならず統治面でも実質的な政治活動を行っていた機関でした

つまり、建武政府の有力地方機関の鎌倉親王府は、名目上成良親王を代表とはしていましたが、その実態は足利氏(直義)の支配下にあった行政機関ともいえました、このことは、尊氏が武蔵守に任ぜられたことと合わせると、東国における足利氏の立場を飛躍的に高め、北条氏の後継者たることを内外に示すことにもなりました

また、倒幕の恩賞として尊氏は17か国30か所、弟直義は11か国15か所の所領を得ました、いずれも旧得宗領であり、特に足立郡をはじめとした武蔵国の所領は、武蔵国支配の、また鎌倉防衛上の重要な所でした、当時の所領給与は本人の申請に基づいて行われていたことを考えると、この所領給与は、足利氏の支配下にある鎌倉の政治・経済・軍事面での一層の安定強化を図るためのものであったと考えられます