入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー96

元弘3年(1333年)5月、新田義貞の鎌倉攻撃、叛旗を翻した足利高氏六波羅探題攻略によって鎌倉幕府が滅び、後醍醐天皇を中心とした新政権が発足しました、後醍醐天皇は記録所を復活し、雑所決断所・恩賞方・武者所を新設しました、また、陸奥親王府(8月)・鎌倉親王府(12月)などを設置し、地方行政機関の充実も図っていきました、そして、翌年年号を建武と改めました、建武の新政です

しかし、この政権の理想とするところは公家中心の政治体制であって、現実の政治的・社会的状況を無視する政策をとらざるを得ず、特に倒幕に功績のあった武士階級の支持を得られないことが多かったのです

こうした武士階級を鎌倉幕府に代わりまとめあげられる人物は、足利高氏以外にはいませんでした、その高氏も後醍醐のいみ名「尊治・たかはる」の一字をもらい「尊氏」と改めたり、「従三位」・「武蔵守」の官職を拝領したりしたものの、建武政権の外に置かれていました、当時流れた「尊氏なし」という世評は、まさにこの政権の将来を暗示するものでした