入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー95

六波羅探題北条仲時・時益一行は、光厳(こうげん)天皇北朝)を奉じ逃げようとしましたが、途中近江国番場の宿(滋賀県米原市)で野伏の夜襲にあい、蓮華寺において自殺して果て、六波羅探題は滅びました

自殺した人々は430余人といわれ、その中には足立長龝(ながあき・ながとき)・同則利・同則幌、片山祐珪・同祥明、河越乗誓、豊島重径・同家倍など武蔵に関係をもつと思われる武士が見えています、彼らはいずれも北条氏と被官関係を結んでいた者でした

高氏の旗挙げに多くの武士らが心を寄せ始めると、幕府の崩壊も一気に進みました、高氏や後醍醐天皇の催促をうけた上野の新田義貞生品神社で兵を挙げ、鎌倉から脱出してきた高氏の子千寿王(後の足利義詮・よしあきら)を奉じると、それはたちまち大軍に膨れ上がり鎌倉に攻め入りました

得宗高時は、長崎円喜・安達時顕らとともに鎌倉の東勝寺に立て籠もり、ここに火を放った後、切腹して果てました、元弘3年(1333年)5月22日のことでした、3日後、鎮西探題も滅び、ここに鎌倉幕府は滅亡しました