入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー92

北条貞時の後、得宗家を継いだのはその子の高時でした、しかし、高時は統治能力を欠き、泰時の代依頼の「政道正直」の遺産と得宗家、それを補佐する御内人長崎円喜・高資)や外戚(安達時顕)の専制支配によってかろうじて幕府運営の体面が保たれていました

しかし、こうした体制は得宗周辺に権力を集中させるものであっただけに、一度得宗個人の統治能力が欠けてしまうと御内人外戚の無責任な権力行使となって表れてきます、円喜の子高資が蝦夷代官安藤氏の内紛に際して、季長・宗季兄弟の両方から賄賂を受け取り、双方に都合のよい判決を下して収拾できなくしてしまった事件などはその典型でした

このような政治の矛盾は、貨幣経済の発展や分割相続の進展に伴う所領細分化、軍役負担の増加などによる御家人の窮乏、悪党の活動や各地の反乱などに対して、何ら有効な手段をとることができず、ひたすら強権政治の道を歩み続けました