入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー87

宝治元年(1247年)6月の宝治合戦で三浦氏を倒し、幕府の実験を握った北条時頼は、家督得宗・とくそう)を子の時宗に譲り、執権職に北条長時を任命してこれを補佐させました、しかし、依然として時頼が実権を握っており、重要政策の討議・決定も時頼の私邸で行われる「寄合」(よりあい)によって行われるようになっていきました

こうして時頼を中心とする得宗家への権力の集中化がはかられていきましたが、それは蒙古襲来(文永の役弘安の役)を背景としてより一層進みました

蒙古軍に対抗するため、恩賞などによって九州に所領を持っていた足立氏・河越氏・小代氏・大井氏などの庶流は、武蔵国から九州に移動させられました、また武蔵国への大田文提出命令は、御家人の持つ所領規模の確認によって御家人役を賦課しようとするものでした

前者は、幕府の影響力が九州にまで及んだことを意味し、後者は、大田文の調達が国司に替わり守護によって行われたところに特徴があり、守護による国衙機構と御家人の掌握がすすんだことを意味しています得宗勢力は全国に及び安定したものになっていきました