入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー86

鳩ヶ谷郷は、現在の鳩ヶ谷市にあった郷名で、地頭職を所持していたのは、桓武平氏の流れをくむといわれている鳩谷兵衛重元でした

鳩谷重元は、寛元2年(1244年)鳩谷郷地頭職につき復権を求めて訴訟を起こしており、その際もし裁判で敗訴した場合は所領を全部相手方に引き渡すという「懸物押書(かけものあっしょ)」を出しています

その結果ははっきりしませんが、後の資料には「鳩井兵衛尉跡」と見えており、以後同郷と鳩谷氏との関係が見られなくなることから、同郷は鳩谷氏の手を離れてしまったものと思われます

矢古宇郷は現在の川口市東部から草加市西部にかけてあった郷名で、秀郷流藤原氏とも武蔵七党横山党ともいわれている矢古宇氏が地頭職を所有していました

同郷は鎌倉時代の前期に鶴岡八幡宮領として見られるが、承久3年(1221年)8月2日に領家職が安堵され、同7日には郷司職50余町が寄進されています、領家職の内容についてははっきりしませんが、郷司職は50余町に及ぶ広大なものです、これは、建暦2年(1212年)武蔵守北条時房が国務遂行にあたって設置したときのものでしょう

八幡宮の矢古宇郷支配の詳細も明らかではありませんが、「鶴岡八幡宮寺供憎次第(ぐそうしだい)」によって預所(あずかりどころ)が置かれていたことが知られます、また同史料によれば弘安6年(1283年)にも鶴岡八幡宮に矢古宇郷が寄進されています