入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー85

鎌倉時代蕨市域がどのような状況にあり、どのような武士によって支配されていたかは、足立郡が足立氏の支配下に置かれた後に北条氏の手に渡っていったという以外は不明です

しかし、市域の周辺には佐々目郷(ささめごう)、鳩谷郷(はとがいごう)と鳩谷氏(はとがいし)、矢古宇郷(やこうごう)と矢古宇氏(やこうし)などの名がみえます

鶴岡八幡宮領としてみられる佐々目郷は、現在の戸田市を中心としてさいたま市南区西部から蕨市の西部をも含む地域であったと思われます

佐々目郷は、幕府が地頭方を正応6年(1293年)に「大乗経料所」、応長元年(1311年)に「四季講料所」、建武4年(1337年)に「女子方(四季講料所)」として寄進していますが、建武2年には足利尊氏が領家方を「座不冷(ざさまさず)料所」として寄進しており、全部が八幡宮領になっています

地頭方も領家方も「分田」といって寄進された田などを均等に分け、八幡宮に属する25坊がくじ引きで管轄する場所を決めていました、そして、そこからの年貢をそれぞれの坊の維持費にあてています

さらに、尊氏寄進の座不冷料所であった領家方は、時期的に考えて「中先代(なかせんだい)の乱」に際して行った戦勝祈願に対する恩賞であったとみられますが、寄進以前は「美作権守(みまさかごんのかみ)知行分」であったことが知られます、美作守護職岡山県)を代々北条氏が保有していたこと、足立郡得宗(とくそう)領であったことからすれば「美作権守」は北条氏の一族であったと思われます