入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー84

同じ「鎌倉中」の武蔵国出身の御家人のなかでも評定衆として活躍している「中条出羽前司跡百貫」、畠山氏の名称を継いだ足利一族の「畠山上野入道跡廿五貫」についで「足立八郎左衛門尉跡廿貫」と多く、「同九郎左衛門跡十貫」を合わせると三十貫となります、これは秩父一族の河越氏(二人で三十貫)に並ぶものであり、他に豊島氏(三人で二十三貫)、江戸氏(一人で二十貫)がありますが、いずれもこれら有力武将をしのいでいます

ちなみに秩父一族は、河越・江戸・畠山・豊島らを合わせると九十八貫で、中条氏の百貫に匹敵します、秩父一族が武蔵武士の中の一大勢力であったことは間違いなく、だからこそ、かつて頼朝がこの勢力を味方につけようとしたのでしょう

こうした御家人役負担の大きさが一族の所領のおおよその規模を表していると思われますが、武蔵武士のなかでも足立氏は、比較的大きな勢力を持った武士であったと云えるでしょう

「足立氏略系図」には、「安須吉(あずよし)」(上尾市畔吉・あぜよし)、「河田谷」(桶川市川田谷・かわたや)、「平柳(ひらやなぎ)」(川口市元郷)、「淵江田」(東京都足立区)など足立郡内の地名を名乗るものが見られ、室町前期には「足立大炊助跡(おおいのすけあと)」として「殖竹(うえたけ)郷」(大宮市)、「河田郷」(桶川市川田谷)も見られるなど足立氏の所領の規模が推測されます

さらに、伝承などを勘案すると足立氏の所領は、荒川(旧中期入間川)沿いに発展していると思われ、経済的のみならず軍事・交通上の要地を押えていたものと思われます