入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー83

足立一族の動向は、御家人交名(名簿)の意味を持つ建長2年(1250年)の閑院内裏の造営注文と建治元年(1275年)の「六条八幡宮造営注文」によってもわかります、建長年間(1249~56年)では造営の御家人役を負っているのは「足立左衛門尉跡」(跡とは幕府の御家人役を請け負う単位で足立左衛門尉〔元春〕の所領を継承してその御家人役を勤めるべき一族という意味)であったが、建治年間(1275~78年)になると、「足立八郎左衛門尉〔元春〕、「同九郎左衛門跡」と見え、足立一族に八郎左衛門尉元春の所領を継承し御家人役を負う人々と、九郎左衛門の所領を継承して御家人役を担う人々の二つの流れが見られます

足立氏は遠元以来鎌倉に住んでいたと思われ「六条八幡宮造営注文」では「鎌倉中」・「在京」・「諸国」に分けて御家人の名が書かれていますが、足立氏はいずれも「鎌倉中」のなかに格付けされ、鎌倉に常駐し、「諸国」の御家人とは区別された存在でありました