入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー77

正治元年(1199年)2月 の源頼朝死亡後、幕府創設以来の功臣である遠元の政治的立場はさらに重要さを増していきます、北条義時らは、2代将軍源頼家の独裁政治を停止し13人の合議制をしきましたが遠元は宿老と呼ばれ、安達盛長らとこのメンバーに加わっています

以後、遠元は3代将軍実朝の代までその側近として仕え、江戸氏・畠山氏・河越氏をはじめとした秩父一族と共に幕府の武蔵支配、ひいては東国支配の要となって活躍したのです

このように、頼朝の武蔵武士の支配は、武蔵国衙機構に深くかかわっていたと思われる秩父一族と足立郡郷を支配していた足立氏とを押える事により行われていました

平氏政権では、武蔵の軍事的支配の中核にあったのは、武蔵国留守所総検校職(るすどころそうけんぎょうしき)を持つ河越氏を中心とする秩父一族でした、頼朝挙兵時での家督河越重頼でしたが、頼朝は、武蔵入りで説得工作に功績のあった江戸氏に「留守所総検校職」すなわち国衙機構の役人に対する命令権を与えることによって、国衙への影響力を強めることに成功したのです

その一方で、頼朝は比企尼の婿・河越重頼と弟・義経との縁談をすすめたり、嫡子頼家が生まれるとその乳母に重頼の妻をあてるなど、河越氏への政治的配慮も忘れてはいなかったのです