入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー74

北条時政父子や安達(あだち)・三浦・千葉をはじめとする挙兵当初から頼朝に仕えてきた武士に、その勲功に応じた本領安堵新恩給与が行われたのは、後の富士川の合戦後相模国府に入ってからのことでしたが、一方、頼朝の武蔵武士への対応は明らかに他の武士の扱いと異なり迅速でした

頼朝がまず武蔵国の武士に対して本領を安堵したのも、そうした政治的配慮と思われます、武蔵武士がいまだ頼朝政権に充分帰服せず、いつまた平家に寝返るかもしれない不安定な勢力であったことを意味しています

京都において、武蔵・相模の武士らが頼朝に背くという風聞がたったのも、あながち間違ったものとは言い切れないものがありました、江戸重長国衙在庁の支配権を付与した二日後に行った足立遠元への郡郷支配権付与は、単なる遠元への恩賞にとどまらなかったと云えます

足立郡は、荒川(旧中期入間川)と元荒川・綾瀬川に挟まれた武蔵国のほぼ中央に位置する広い地域です、また、それまで秩父一族の入り込めない聖域でもありました、遠元は、この郡名を苗字とし、足立郡司の系統を引く者といわれました、平治の乱の際の義朝への参陣をはじめ頼朝の挙兵にあたりいち早く参上した功績など、遠元に対する頼朝の期待は大きかったようです