入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー73

参陣の翌日、頼朝は江戸重長武蔵国の支配を在庁官人(国衙に勤務する役人)や諸郡司を通じて行うよう命じています、それまで国衙在庁指揮権を握っていたと思われる河越氏に代えて江戸氏を任命することで、河越氏を国衙から排除し、頼朝の影響力を国衙に及ぼすことを狙ったのでしょう

また、内乱状態の中で、武蔵国内の在地武士が寺社に乱入して不法行為を働くことが多かったらしく、これらを止めさせるために土肥実平を派遣しています、寺社に対する権限行使は、従来国衙が行っていましたが、頼朝がこれに代わったわけです

こうして武蔵武士の取り込みに成功した頼朝は、武蔵府中(東京都府中市)を通り鎌倉に入りました、武蔵入国以前の足踏み状態を考えれば、武蔵武士の帰趨が頼朝の勢力確立にとっていかに大きな課題であつたかがわかります

鎌倉に入ると頼朝は、江戸氏を武蔵国衙在庁の支配者であることを認めたのについで、足立遠元足立郡の郡郷領掌権(支配権)を安堵しました、それは、これまでの遠元の功労と頼朝の武蔵入りにあたっていち早く参加したことにたいする恩賞でした、また、武蔵支配を国衙とその末端機構によって行っていくことへの具体的表現でもありました