入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー72

治承4年(1180年)8月、源頼朝伊豆国目代(もくだい)山木兼隆の館(静岡県田方郡韮山町)を襲い平氏打倒ののろしを上げましたが、石橋山(神奈川県小田原市)の戦いで平氏方の大庭景親軍に敗れ、海路安房国(千葉県)に逃れました、そこで頼朝は、房総の諸豪族を味方につけると、千葉常胤らの進言を容れ鎌倉を目指しました

この間、頼朝は武蔵の江戸重長らへの説得工作を続けました、重長は桓武平氏秩父一族の惣領家筋として、また平氏方の有力な武士として、頼朝軍の武蔵から鎌倉への進軍を阻む一大勢力とみられていました、そのため進軍の勢いは一時足踏み状態となっていましたが、やがて大井(江戸川)・隅田両河川を渡り武蔵国に入りました

この時、頼朝軍を迎えたのは、豊島清元・葛西清重足立遠元らの武蔵の有力な武士でした、次いで頼朝軍は長井の渡し(東京都台東区)を渡りましたが、ここで、畠山重忠河越重頼江戸重長らこれまで平氏に味方していた秩父一族の武士たちが頼朝軍に加わりました