入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー68

律令体制の崩壊と共に、関東各地の豪族が次第に武士団へと成長を遂げていきましたが、その武士団の中で、関東において大きな勢力をもってきたものに坂東八平氏と武蔵七党があります

坂東八平氏は寛平7年(890年)に上総介として関東に赴任した桓武天皇の曾孫高望王の子の良文・良正の子孫であり、武蔵・上総・下総・相模を中心にして国司押領使などを勤め、その勢力を拡大していきました

坂東八平氏の中で大きな勢力を占めていたのは、秩父氏です、秩父氏は良文(村岡五郎)の子、村岡次郎忠頼から出ており、その子の将常(まさつね)が武蔵権守となり、秩父郡中村郷(秩父市)に本拠を定めて秩父氏を称したことから始まると云われています

秩父氏の子孫は30余氏の諸氏に分かれ、その勢力は秩父郡を中心として大里・入間・豊島の諸郡から下総・相模国などまで及んでおり、蕨周辺に土着したものには、豊島・江戸などの諸氏がいました

一方武蔵七党は、「武蔵七党系図」によれば、横山・猪俣・野与・村山・児玉・丹・西の諸党を指していますが、野与の代わりに私市(きさい)を入れたり、村山・西の代わりに綴(つづき)・私市を入れることもあります

ここでいう党というのは、共通の祖先から分かれた家々が、それぞれ独立性を尊重しながらも同族としてつながりがあるものを云います、蕨周辺に分布した武蔵七党には、横山党の一族である矢古宇(やこう)氏がいました