入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー67

将門の乱においてその実力を誇示した在地豪族たちは、互いに同盟と離反を繰り返しながら、各地で反国衙闘争を展開していきました、こうした状況のなかで、平忠常が反乱を起こしたのです

平忠常平将門の父である良将の弟、良文の孫にあたり上総介・下総介などを歴任し、武総の地においてその勢力を誇っていました、彼はこの力を背景として、国司に対して租税を納めず官物を掠奪し、長元元年(1028年)には上総国府を襲撃し、さらには安房国に侵入して国守源惟忠を殺害しました

同年6月、平忠常の乱の知らせが都に達すると、政府は直ちに検非違使であった平直方と中原成通の二人を追討使として東国に派遣しました

しかし、彼らは忠常をなかなか討伐することができませんでした、同3年に甲斐守源頼信が忠常の追討を命じられると、頼信の地道な交渉の結果、忠常は降服します、そして、上京途中の美濃国で忠常は病死してしまいます

こうして、4年間にわたる平忠常の乱は終結しました、この結果、関東における源氏の武名は高まり、源氏の関東支配を押し進める契機ともなりました、また、忠常一族に対する処分もうやむやになり、その子孫は、千葉常胤(つねたね)や上総介広常といった在地領主へと成長を遂げていったのです