入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー66

天慶2年11月、将門は常陸国府を襲撃し、国司の藤原維幾を捕え、国印と国衙倉庫の鍵を奪いました、以後、将門は上野・下野の国府を襲い、武蔵・相模を含める関東全域を制する一方、自ら「新皇」(しんのう)と号し、下総国石井(いわい)(茨城県岩井市)に王城を構え、一族を関東諸国の国司に任命しました

将門謀反の知らせは直ちに都に達しましたが、時の政府にはこの反乱を鎮定する力はありませんでした

天慶3年、藤原忠文征東大将軍に任命されましが、実際に将門追討の功があったのは、将門に殺害された平国香の子貞盛と下野国押領使藤原秀郷(ひでさと)でした、彼らは、藤原忠文が赴任する前に将門軍を下野国で破り、同年2月、下総国猿島でついに将門を討ち取っています

こうして、古代国家をゆるがせた平将門の乱は、関東の土豪の手によって鎮圧され、中央政府に対して関東の武士の力を示すことになったのです、この事件により藤原秀郷従四位下野守に、貞盛は従五位下にそれぞれ叙任され、その一族や子孫が坂東武者として繁栄する基礎となりました