入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 足立郡衙と足立氏-私的考察 ⑩

その後の武蔵には、「平将門の乱」に登場する足立郡司武蔵武芝や、保元・平治の乱を経て源頼朝の旗揚げに加わり、鎌倉幕府初期に活躍する足立遠元がいます

足立遠元には藤原氏の出自であるという「足立系図」もあり、また足立郡司武蔵武芝の子孫であるという説もありますが、武蔵武芝、足立遠元ともその系譜は判っていません


余話

平安時代までの武蔵の様子を少しの想像をまじえて述べてきましたが、色々な資料を当たるうちに気になったことがありましたので、余計なととは思いますが、何かに役立てればと思いますので以下に述べてみます

まず、古代出雲の参考書を少し読むうちに「出雲王国」が「大和王権」に服属した後、出雲大社などの大規模な祭祀施設を作った出雲の技能集団が大和朝廷の支配する各地に派遣され、その地で、祭祀施設を作ったのではないかという説を見つけました

そこで思い出したのが、以前から気になっていた大宮氷川神社の起こり、名前です、前述のように、武蔵開発者の出自は出雲のようですので、大宮氷川神社は出雲の技能集団によって作られ、名前も出雲の「斐川」をとったのではないか、とも想像できます

もっとも、「氷川」は「干川」で洪水などの水を治めるという意味の転化ではないかという説もあります(後世の勧請による氷川神社は別として、武蔵各地・さいたま・川口・鳩ヶ谷・戸田・蕨の氷川神社は水辺に多いので、これも説得力はありますが)

それから、もう一つ地図を見ていて気がついたのですが、大宮氷川神社付近にある”天沼”(さいたま市大宮区天沼)という地名です、東京都杉並区にも”天沼”がり、また、川口市安行吉岡にも”天沼”があります

さいたま市大宮区天沼は見沼をのぼっての水辺、東京都杉並区天沼は妙正寺川を遡った水辺、川口市安行吉岡の天沼は前野宿川を遡った水辺という共通性があります、また、それぞれの近辺には祭祀施設がある、あったであろうという共通性もあります

時代は奈良・平安時代かとも想像しますが、これらも出雲の技能集団が関わったのではないかと思うと夢物語は際限なく広がります、今後の発掘・考察が待たれるところです