入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 足立郡衙と足立氏-私的考察 ⑨

日本書紀』の安閑元年の条にある”武蔵国造の乱”は古来から続いた武蔵国造本家の継承争いであろうし、癸己の年(633年)に聖徳太子の舎人となり武蔵国造を賜った”物部連兄麻呂”、8世紀に入間宿穪となった”物部直広成”らはいずれもその系譜を遡れば出雲系のようであり、武蔵国造は一貫して出雲系の祖神を祭るエタモヒノ命の後裔により襲職されていたようです

律令時代に入り丈部直不破麻呂が武蔵宿穪を賜姓され、武蔵国造に任命されていますが、丈部直はオホヒコノ命の孫イハカムツカリノ命の系列と関連を深めている人たちで、出雲系とは系譜を異にしています、不破麻呂が就いた国造は律令時代以前のそれと異なり、令制国造などと呼称され、多分に武蔵国内の祭祀のみに関わる職であったようです

地方支配者としての国造は7世紀までであり、このような職としての武蔵国造は出雲系の人たちにより担われていたと思われます、律令以前の国造の時代における武蔵国の支配構造を簡単に描いてみれば、出雲系の国造の下に部内支配に当たるものとして中小の豪族がいたのでしょう